アズカリ

アズの仮置き場。

記憶

物語で涙する

ということはよくある話で、

その気持ちは

過去の自分の経験と

リンクしている。

 

だけども、

いつの頃の

どんな経験と

リンクしているかなんて

わからない。

 

大体が

過去の経験など

そのほとんどを

忘れてしまっている。

 

その涙で

過去の出来事を

思い出すなんてこともなく、

ただただその物語に

気持ちをもっていかれるのだ。

 

僕は

人の名前を覚えるのが

とても苦手だ。

 

小学生の頃の

同級生の名前なんて

ほとんど覚えていない。

 

今更出会っても

多分

わからない。

 

実際わからなかった。

 

同級生は車の販売をしていて、

僕はその客だった。

 

車を下見に行くのに

事前に予約を入れた。

 

その名前を見て

同級生は

僕だと気づいていたらしい。

 

車屋に行き、

顔を合わせても

僕は全く気がつかなかった。

 

「オレだよ、オレオレ」

 

対面式のオレオレ詐欺なんて

斬新だなと思った。

 

そうではなかった。

 

同級生だったのだ。

言われて記憶をたどる。

過去にさかのぼる。

 

「あ、あぁ。ホントだ」

 

なにがホントなんだか。

 

子どものころの

彼の顔と

大人になった

彼の顔を

記憶の中で照合させる。

 

確かに彼だ。

僕の同級生だ。

 

しかし、

僕は困ったことになった。

 

状況的に

車を買わざるを得なくなったのだ。

 

 

言葉を交わしても

気づくことない同級生。

 

街ですれちがったくらいでは

到底気がつかないだろう。

 

相手は

気がついていたかもしれない。

 

だとしたら、

それは僕の中にはない記憶。

 

記憶というのは

実にあいまいなもので、

たいていの場合、

時間の経過とともに

自分に都合よく

書き換えられている。

 

「あのとき、

 お前から断ったんじゃないか」

 

記憶が一致しない。

 

どうやら相手の中では

僕が断った

ということになっているらしい。

 

そんな記憶は

僕の中には

ない。

 

では、

記憶の正解は

どこにあるのだろう。

 

その記憶を正したところで

今日の僕はなにも変わらない。

 

意地をはらずに

相手に合わせたほうが

物事は

うまくゆく。

 

記憶の正解なんてものは

どこにもない。

 

ある時点で

僕の記憶が

そっくり書き換えられていても、

気づくキッカケなどない。

 

僕の中の記憶。

 

どこまでが

本当の記憶

なのだろうか。

 

映画館を出たときに

僕はそんな事を考えた。

 

今日、

僕がなんの映画を観たのか。

 

わかるよね?