アズカリ

アズの仮置き場。

死から学ぶもの

死んだら終わりなのだから

考えたって仕方がない

 

という人がいる。

 

死んで終わりなのは

死んだ本人であって

考えている僕は生きている。

 

だから

人の死を考えることに

意味はなくはないと思う。

 

悲しんだって仕方がないと

悲しみを割り切れるほど

薄情ではない。

  

そんな人の死を教訓に

これから自分はどう生きるか。

 

人の死は

自分が生きるための力になる。

 

これからまた

頑張って生きていこう

というきっかけになる。

 

それを力にできず

乗り越えられない人も

いるのだろうけれど。

 

そうやって

いろんな経験を経て

僕は鍛えられていくのだ。

 

すでに僕は

いろんな経験をした。

 

経験をした気になっているだけ

かもしれない。

 

すごく悲しいこととか

すごくうれしいということが

段々減ってきているように思う。

 

増えてきているのは

理不尽なことばかり。

 

自分にとっての正解に反すると

理不尽だと感じる。

 

なにも知らなければ

それは理不尽だとも思わない。

 

大人のいうこだから

それが正解に違いないと

人の判断を頼りに

自分の判断とする。

 

他人にすがって

生きてきた自分が

他人にすがらなくても

生きれるようになったときに

自分以外のことが

バカバカしく思えるのだ。

 

変わったのは自分。

 

それによって

苦しめられている。

 

自分で自分を苦しめている?

割り切ったらラクになる?

知らないふりをすればラクになる?

自分を誤魔化せる?

 

それって余計にツラくない?

 

他人を理不尽だと思うことよりも

苦しいことじゃない?

 

死に対して強くなるって

悲しいようだけど

それが普通だ。

 

自分が生きていれば

人の死に関わることも多くなる。

 

ニュースでは

毎日のように

誰かが交通事故で亡くなったとか

理不尽に殺された

などと報道されている。

 

でも、悲しくない。

知らない人だから。

 

それよりも

数年前に亡くなった両親の死

のほうが

僕にとっては

未だに痛みを覚える出来事なのだ。

 

でも

僕の両親の死が

誰かに影響を与えているかと言えば、

ほとんどの人には関係ない。

 

知らない人のことだから。

 

世の中って

そんな気持ちで

溢れているんだ。

 

誰もが大切な人の死を経験していて

誰もが悲しい思いをしているのだ。